さつき会ブログ

さつき会イベント委員の有志が会員の皆さんと一緒に様々な情報をお伝えしていきます。           (※ブログ内の関連情報は、興味をお持ちの方にさらに深く知って頂くためのものです。さつき会として販売促進するものではありませんのでご了解ください。)

駅から徒歩10分のミルクファームと城跡公園

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ミルクファーム3_COVER

電車と徒歩で行くミルクファームと城跡公園をご紹介いたします。
①磯沼ミルクファーム
新宿から特急で40分、京王線高尾線・山田駅徒歩10分の磯沼ミルクファーム・磯沼牧場(東京・八王子市)を訪ねました。
磯沼牧場は交通至便な住宅街にありながら山並みを背景にした見晴らしのよい丘陵地に位置し、ここが東京だということを忘れるほどの解放感が味わえます。訪問当日は快晴で周辺に富士山を臨めましたが、残念ながらシャッターチャンスを逃してしまいました。


ミルクファーム3

牧草地に遊んだり施設内にいる牛や羊たちはみな、手入れが行き届き、とてもきれいな毛並みをしています。

羊たち

放牧される牛2

放牧されている牛たちです。写真を撮ろうとしたら寄ってきました。



牛小屋2

園内の看板によると、この磯沼牧場は「牛と人の幸せな牧場」「街の中の美味しい楽しい牧場」を目指すと同時に、家畜福祉の考え方を基に、環境に優しい牧場であるため毎日約1000キロのコーヒー皮などを牛舎のベッドなどに撒いているそうです。この完熟コーヒー牛糞たい肥は畑を元気にする有機質肥料として活用されています。

カフェ看板JPG

最近オープンした隣接のカフェ・Tokyo Farm Villageではソフトクリームやヨーグルト、ケーキ、軽食などを楽しむ観光客で賑わっていました。(写真は都合上無人のものを使用しています)

カフェ1

カフェ2


②片倉城跡公園
磯沼ミルクファームからの帰り道徒歩20分、京王線高尾線・片倉駅から徒歩10分の片倉城跡公園を訪ねました。

片倉城址)

片倉城址3JPG

この公園は小比企(こびき)丘陵の東先端に位置し、現在もその北側の斜面から複数の湧き水があり池や湿地を形成しています。湧き水の傍に可愛らしい水車もありました。

水車31

うっそうとした木々が生い茂るこの史跡には、戦国時代の武将の館を思わせる雰囲気があります。ちなみにカタクリの群生地としても有名です。

城址内1)

現在その遺構は殆ど残っていませんが、かつてこの城址からは応永(室町時代)の頃大江備中守師親が在住したことを記した板碑が出土しています。また城跡にある住吉社は片倉村の鎮守であるとともに、大江氏の守護神であったと伝えられているそうです。(東京都教育委員会編集の「東京都の中世城館」より)、また現存する遺構は15世紀後半、関東管領家扇谷上杉家の家臣長井氏によって築かれたと推定されています。(東京都教育庁の資料より)
ウィキペディア(Wikipedia)には、後北条氏の領地となって以降戦国時代後期まで砦として使用され、1590年豊臣秀吉の小田原征伐で八王子城とともに落城したとあります。
尚、園内は相当の急勾配ですので健脚の方にお勧めいたします。

※片倉城跡史につきましては、八王子市教育委員会のご協力を頂きました。

(担当⁑ アレクサンドリア)


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新選組局長 近藤勇生誕の地:調布市上石原

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私の住む調布市は、新選組組長 近藤勇の生まれたところです。
京王線「西調布駅」北口に降り立つと、ロータリーの真ん中に、赤地に白い『誠』の横に青地に白く染め抜かれた『新選組局長 近藤勇生誕の地 上石原』の文字が目に飛び込んできます。

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駅付近の住宅の前には、赤い「誠」の字とともに同じ「新選組局長 近藤勇生誕の地 上石原」と書かれた白いのぼり旗が立てられています。

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今回は、市内のあちこちにある近藤勇ゆかりの地をご紹介したいと思います。

〈生家跡〉
近藤勇は、1834年(天保5年)、武州多摩郡上石原村の農家 宮川久次郎の三男として生まれ、幼名は勝五郎と言いました。
近藤勇の生家は調布飛行場の北側(現:調布市野水1-6-8)にありましたが、1943年(昭和18年)に飛行機の離着陸に危険との理由で軍の命令によって取り壊されてしまいました。現在は、勇の産湯にも使われたという井戸だけが残っています。

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ところで、取り壊された生家の模型が調布市郷土博物館(調布市小島町-26-2)の2階に展示されており、無料で見学することができます。

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宮川勝五郎は天然理心流 近藤周助に剣術を学び、15歳のとき周助の養子となり、後に近藤勇と改名しました。養子入りの際に周助から父親宛てに差し出された嘉永2年(1849年)付けの養子縁組状が残っています。

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1863年(文久3年)、近藤勇は土方歳三らと共に幕府の浪士隊に応募して京都に行き、新選組を結成して局長として洛中の治安維持に当たりました。
鳥羽伏見の戦いに敗れた後、1868年(慶応4年)1月、幕艦富士山丸で江戸に帰還します。

※土方歳三も京王線沿線の日野の出身です。新選組のメンバーは近藤勇や土方歳三を始めとして、多摩地区の農家の次男坊や三男坊が多かったと言われています。

〈上石原若宮八幡宮〉
その年の3月、勇は甲陽鎮撫隊を編成して甲州街道を甲府に向けて出陣しました。その途中、故郷の上石原で駕篭を降り、宮川家の氏神様であった上石原若宮八幡宮に向かって遥拝して戦勝を祈願したそうです。
この上石原八幡宮は勇が通った旧甲州街道から南にかなり離れたところにあります。当時は民家も少なく、恐らく街道から眺めても八幡宮の位置を簡単に認識できたのではないかと思われます。

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〈西光寺〉
西調布駅から旧甲州街道を少し西に行ったところに、西光寺があります。
甲府に向かう甲陽鎮撫隊は、ここの境内で休憩を取ったと伝えられています。
ここには、調布市『近藤勇と新選組の会』が近藤勇の没後130年を記念して建立した、大きな近藤勇座像があります。

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〈龍源寺〉
甲州勝沼の柏尾山の戦いで敗れた勇は下総流山(千葉県流山市)に陣を張りましたが、官軍に投降。4月25日板橋にて斬首刑に処せられます。享年35歳でした。
勇の首は京都に運ばれて三条河原に晒されたそうですが、勇の甥で娘婿の近藤勇五郎は板橋の刑場で肩の鉄砲傷を目印に首のない遺体を掘り起こし、生家近くの龍源寺に埋葬しました。勇の無言の帰還を一族の人々は野川に架る相曽浦橋で迎えたと伝えられています。
龍源寺は調布市に接した三鷹市のお寺ですが、門前に近藤勇の胸像があり、本堂裏の墓地には近藤勇の古めかしい墓と甥で娘婿の勇五郎の新しい墓が並んでいます。


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ところで、東京の板橋駅前にも新選組を供養する墓所があって、そこに小さな近藤勇立像があります。調布にあるものと比べると、ちょっと可愛らしい感じです。
隣には、近藤勇と土方歳三連名のお墓もあります。

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京都の壬生寺にも近藤勇の胸像があります。
写真を見ると、龍源寺前の胸像とそっくりです。
機会があったら、そのうち訪れてみたいと思っています。

(担当 Mikkie)

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虎ノ門駅のアート

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徐々に新型コロナ以前の生活に戻りつつあるこの頃ですが、皆様いかがお過ごしですか。
私は最近東京メトロの虎ノ門駅で面白いものを見つけました。
虎ノ門駅の周辺は再開発が進み、再開発した建物から駅にアクセスできるようになり、駅のホームも改修が進んでいます。
その改修が済んだ渋谷行のホームの壁面です。
一見したところ、子供が虎のお面をかぶって遊んでいる絵です。

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近寄ってみると、凸凹があり、絵画というより彫刻のようです。
正面からだけでなく、右から見たり、左から見たり、見る方向や角度により、凸凹とその影により表情やしぐさが変化していきます。不思議なアートです。

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東京メトロの資料によると、これは2020年に設置された「白い虎が見ている」という中谷みちこさんの作品だそうです。
銀座線については、2017年の上野駅をはじめとして、京橋駅、銀座駅、青山一丁目駅、日本橋駅等にパブリックアートが設置されているそうです。(詳しくは以下の東京メトロの資料をクリックしてください。)
 
 上野駅・末広町駅
 京橋駅、銀座駅、虎ノ門駅、青山一丁目駅、外苑前駅
 日本橋駅

これらの駅を利用されることがあったら、パブリックアートをご覧になってみてください。


 (担当 Aozora)

ニュートンのりんごの木

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我が家の近くにある電気通信大学には、正門を入ったところに「ニュートンのりんごの木」が2本あります。
今、小さな実が4つも生っているのです。

ブ-電通大2

ニュートンは庭にあったりんごの木から実が落ちるのを見たのがきっかけで万有引力の法則を発見したと言われています。
元の木は今では枯れてしまったそうですが、1964年に英国物理学研究所所長サザーランド卿から、日本学士院長 柴田雄次博士に1本の苗木が贈られました。
ところが、この苗木はウイルスを持っていたため焼却処分も検討されましたが、東京大学理学部附属小石川植物園で隔離され、努力の末にウイルスの無毒化に成功しました。
※この間の経緯は東京大学のホームページ に書かれています。興味のある方はご覧ください。

ブ-電通大

この電気通信大学の「ニュートンのりんごの木」は、1982年小石川植物園から東京農工大学に穂木が譲られ、1999年に同大工学部で根付いた株から接ぎ木した穂木を、2014年に東京農工大学から分けてもらったものです。

私は、この木が植えられたときから知っています。
初めて見たとき、「えっ、これって本当に「ニュートンのりんごの木」なの!?」ととても驚きました。
それから4年。2018年に初めて花が咲き、小さな青い実が2つ付きました。大きくなって赤く色づくのを楽しみにしていたのに、残念ながら2つとも大きくなる前に落ちてしまいました。
それからまた4年が過ぎ、今、小さな実が4つ付いているのです。
今度こそ、赤い実になって欲しいものです。

ところで、調布には神代植物公園にもう1本「ニュートンのりんごの木」があります。
こちらは、2010年に小石川植物園から寄贈されたものです。

ブ-神代植物公園

「巨大地震が甚大な被害をもたらしたこの年、人類が生み出した科学や技術について考えさせる機会になりました。このような年を意味づけるうえで、ニュートンのリンゴを記念樹として植えることにしたものです。」
平成23年(2011年)10月20日に神代植物公園サービスセンターが設置した説明板には、そう記されています。

英国にあった元の木は枯れてしまったそうですが、今でもケンブリッジ大学トリニティ・カレッジには「ニュートンのりんごの木」が植えられているそうです。
一方、日本に渡ってきた苗木は小石川植物園でウイルスの無毒化に成功した後、接ぎ木で増やされ、日本各地に広がりました。
小石川植物園では、1981年から一般公開されています。
もしかしたら、皆さんのお近くにも「ニュートンのりんごの木」があるかもしれませんね。

そうそう、この「ニュートンのりんごの木」は“ケントの花”という西洋りんごの品種だそうです。一体どんな味がするのでしょうか?生食には向かないと言いますが、一度食べてみたいものです。

1814年に伐採された原木で作られた椅子と余った木材が、現在英国王立協会と天文台に保存されています。
2010年には、この原木の10cmほどの木片とニュートンの肖像画がスペースシャトル・アトランティスで宇宙を旅しました。ミッション終了後には、もちろん英国王立協会に戻されました。

(担当 Mikkie)


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愛宕山付近を散策する 

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東京23区で一番高い山は?

東京23区で一番高い山をご存知ですか? 何とわずか標高25.7mの愛宕山が自然の山としては一番高い山だということです。今回はこの愛宕山付近を散策してみたいと思います。
愛宕山に行くには、日比谷線神谷町をはじめ、色々なルートがありますが、都営三田線の御成門から向かうことにしました。
東京慈恵医大の前にある青松寺の山門は花まつりバージョン。境内のお釈迦様の噴水と共に心を和ませてくれます。

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出世の階段を上ってみる

更に進むと、愛宕通り沿いに標識があります。


標識に示されているエレベーターは使わずに、少し先にある石段を上って愛宕神社に向かうことにします。
徳川家光が愛宕山に咲いている梅を見て「誰か、馬にてあの梅を取って参れ」と命じたところ、当時無名だった曲垣(まがき)平九郎が、馬で石段を上り下りして、梅の花を家光に献上した、という話をご存知の方もいらっしゃることでしょう。その後曲垣平九郎は「馬術の名人」としてその名を日本中にとどろかせたということで、それにちなんで「出世の石段」と呼ばれています。
この石段に挑戦してみることにしました。全部で86段。後ろを振り返るとめまいがしそうなので、ひたすら足元を見て登ります。息が切れて途中で休憩すること3回。
振り返ってみると驚くほど急な石段。「上がり切った」という満足感で、運気が上がりそう。ちなみに勾配は40度だということです。

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愛宕神社は徳川家康の命によって防火の神様として建立されたそうです。ところが、江戸時代の火災、関東大震災、東京大空襲などで繰り返し消失し、今の建物は昭和33年に再建されたものだとのこと。東京の身代わりに焼けたのだという説もありますが・・・。
東京23区内で一番高い愛宕山にある神社、昔は、さぞ眺めがよかったのでしょう。今は高層ビルに埋もれています。

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愛宕神社は若者でいっぱい

3月から4月という節目の季節。彼らは何を祈ったのでしょうか。真剣なまなざしで手を合わせて祈る若者たちの姿が印象的でした。
池には錦鯉がたくさん泳いでいてほっとした気分になり、癒されます。

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NHK放送博物館へ

すぐ隣に、NHK放送博物館があります。ここはNHK発祥の地。1925年に愛宕山からラジオの本放送が開始されたとのことです。

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先ず3階へ。さすがにエレベーターを使うことにします。
ヒストリーゾーンではNHK100年の歴史が、たくさんの映像や音を通じてじっくりと見られます。移り変わるラジオやテレビ、昭和のテレビ番組、など記憶の彼方に消えそうな映像を残しておきたいのですが、残念ながら撮影禁止。
階段で2階へ。ここには子どもが喜びそうな放送体験スタジオがあります。小学校4年生くらいの女の子とその両親の仲良し家族と一緒に体験をすることになりました。
上がテレビのバーチャル画面。青い布を通して体が透き通り、その中を魚が泳いでいます! 
アナウンサーになった気分でニュースを読むコーナー、気象予報士になれるコーナーもありましたが、ここの体験は仲良し家族に任せることにしました。
そのほか、テーマ展示ゾーン、愛宕山8Kシアターなどもあり、色々と楽しめます。

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4階には番組公開ライブラリーがあり、1万本を超える番組を視聴できるはずでしたが、この日は公開されていませんでした。ある日ある時の、思い出のビデオが見つかるかもしれません。

近くに増上寺、東京タワーもありますし、小学生くらいのお子様連れでの散策にもおススメ。
都心で味わえる別世界の散策コースです。

(担当:Giglio)


愛宕神社の詳しい情報はこちら
NHK放送博物館の詳しい情報はこちら


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