さつき会ブログ

さつき会イベント委員の有志が会員の皆さんと一緒に様々な情報をお伝えしていきます。           (※ブログ内の関連情報は、興味をお持ちの方にさらに深く知って頂くためのものです。さつき会として販売促進するものではありませんのでご了解ください。)

都立大に牧野富太郎博士の標本が!

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 NHKの朝の連続ドラマ小説「らんまん」の主人公のモデルになった牧野富太郎博士。その牧野富太郎博士が集めた標本を、東京都立大学(都立大)南大沢キャンパス(東京都八王子市)で見られることをご存知ですか。
20230822 DrMakino

 子どものオープンキャンパスの付き添いで訪れた都立大。キャンパス内を一人でブラブラ歩いていたところ、牧野標本館で「『日本の植物分類学の父』牧野富太郎が残したもの」と題する企画展を行っていることを発見。企画展では、牧野博士が自宅に保管していた植物、野菜、果物などの標本が間近に見られる上に、「らんまん」で実際に使われた標本や「ムジナモ」の実物、牧野博士ゆかりの広告など、「らんまん」ファンにとって嬉しい展示がたくさんありました。
20230820 Guests
展示を熱心に見入る老若男女の来場者
20230820 Mujinamo
牧野博士が日本でも生息することを発表した「ムジナモ」の実物
20230822 Newspaper
牧野博士が自身の窮状を訴えながら標本収集への協力を依頼した「植物名稍ノ通信」
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標本の一つ一つに植物が美しくレイアウトされています
(左上:サクラソウ、右上:クマガイソウ、左下:カワラノギク、右下:ハナムグラ)

20230822 Hyouhon2
野菜の標本(左上:カブ、右上:ダイコン、左下:チンゲンサイ)
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果実の標本(左上:オクラ、右上:マンダリンオレンジ)
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奥様の寿衛子さんの名前をつけた「スエコザサ」(左)と今は野生絶滅となった「サクラソウ」(右)
20230822 Ronbun
牧野博士の論文

 では、なぜ都立大に牧野標本館があるのでしょう?実は、牧野博士が終生をかけて集めた膨大な標本は、晩年、十分な管理もされずに東京都練馬区の自宅に放置されていたそうです。博士が名誉都民第一号ということもあり、牧野博士のご遺族から標本が東京都に寄贈され、1950年に発足したばかりの都立大に牧野標本館が設置されたそうです。
20230822 Donguri
 来場者数を数えるためのドングリ。来場者に協力を求めるところが牧野博士が全国の植物ファンに標本送付の協力を求めたことと重なり、ほのぼのとした気持ちになりました。

 企画展は、9月30日まで開催されているとのこと。「らんまん」ファンも、そうでない方も、足を運んでみてはいかがでしょうか。
 
 都立大南大沢キャンパスアクセス
 企画展チラシ

(担当:ゆっちょむ)
 

 

小林逸翁が工夫を凝らした邸宅と茶室~小林一三記念館・雅俗山荘

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 阪急電鉄の池田駅からなだらかな坂を登って、徒歩10分。池田文庫や逸翁美術館を通り過ぎると、立派な門構えの小林一三記念館が現れます。小林一三記念館は、小林一三氏の旧宅である「雅俗山荘」を中心に、小林一三氏の功績を紹介する施設です。
雅俗山荘長屋門
能勢町にあった庄屋から移築したと伝えられる長屋門。「雅俗山荘」の玄関アプローチにつながる。(出所:小林一三記念館ホームページ)

 小林一三氏は、阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者です。宝塚歌劇や阪急百貨店、宝塚ホテルも設立した実業家であり、茶人、文化人としても活躍されました。逸翁は、一三氏の雅号です(ここでは、以後「逸翁」と呼ばせていただきます)。
 長屋門を入ると、正面が小林逸翁の旧邸である洋館「雅俗山荘」です。現在は、優雅な雰囲気の中、フランス料理を楽しめる山荘レストランになっています。
雅俗山荘玄関
雅俗山荘の玄関。鉄筋コンクリート造2階建ての洋館ですが、屋根は日本風のいぶし銀の瓦が葺かれた和洋折衷の建物

 私も、さつき会の友人たちと「雅俗山荘」でランチをいただきました。玄関を入るとすぐに二階まで吹き抜けになった広い応接間があり、今はラウンジとして使われています。私たちが案内されたテラス席は、かつてはサンルームで、逸翁はここで家族や友人とバーベキューなどを楽しんだそうです。テラス席からは庭の緑を楽しむことができ、雨天にもかかわらず明るい光が差し込んでいました。
テラス席
光が差し込むテラス席
ダイニングからテラス席を望む
ダイニングからテラス席を望む

 この山荘で逸翁は、こう夫人と3男2女の子どもたちと暮らしました。元テニスプレイヤーの松岡修造さんは、松岡家に養子に行った逸翁の次男の孫にあたるそうです。今は、二階のこう夫人の部屋や逸翁の書斎も自由に見学することができます。庭に面した南向きの広い部屋がこう夫人の部屋です。夫人の部屋には、当時は珍しいシャワー付きのバスルームも隣接しています。一方、逸翁の書斎や部屋は、北側の山が見える部屋です。
逸翁の書斎
逸翁の書斎。かつては窓から山を見ることができた。
こう夫人の部屋
庭に面した南向きのこう夫人の部屋
こう夫人のバスルーム
当時は珍しいシャワー付きのこう夫人のバスルーム

 庭には、三つの茶室がお互いに邪魔し合わない絶妙な位置に配されています。近衛文麿公が命名した二畳の茶室「費隠」、逸翁が生前使用していた茶室から名づけられた茶室「人我亭」も見ごたえがありますが、何といっても惹きつけられるのは「即庵」です。「即庵」は、三畳台目に土間を二方に廻らせた椅子席の茶室です。逸翁の考案で、10席の椅子席からは畳上と同じ視線で喫茶、拝見ができるように工夫されています。茶道愛好家にも正座が苦手な方が多い中、このような茶室を考案したところに、逸翁の発想の豊かさ、お客様への真のもてなしの心を感じます。
茶室「即庵」
茶室「即庵」

 小林一三記念館や雅俗山荘の魅力は、まだまだ伝えきれません。ぜひ一度足を運んでみてください。

小林一三記念館
(担当:ゆっちょむ)



観潮楼~森鷗外記念館~を訪ねて

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様々なジャンル、美しい文体の森鷗外の作品に魅了された日々を突然思い出したのは、NHKBSドラマ「孫のナマエ 鷗外パッパの命名騒動7日間」を見たこと、友人から鷗外の末子について書かれた「類」(朝井まかて著)を読んでいると聞いたこと、からかもしれません。
千代田線千駄木駅から、眩しい太陽を浴びながら団子坂を数分上ると「文京区立森鷗外記念館」に到着。
ここは森鷗外が家族と共に30年間暮らした家の跡で、家の2階から品川沖が見えたため、自ら「観潮楼」と名付けたそうです。観潮楼では、「青年」「雁」「高瀬舟」などの作品が生まれました。


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〇鷗外生誕160年・没後100年
今年は、森鷗外(1862年~1922年)の生誕160年・没後100年の年に当たり、記念館ではこれにちなんだ展覧会が開催され、訪れた日は、特別展「読み継がれる鷗外」が行われていました。
館内は撮影禁止。メモを取ろうとうっかりボールペンを出した途端、記念館の方にやんわりと注意をいただき、小さな鉛筆のついた小さな手帳を使うことに・・・。


鷗外1 鷗外4

〇11歳で現在の東京大学医学部の前身に入学

10歳で父と共に上京した鷗外は、年齢を2歳偽って、わずか11歳で第一大学区医学校に入学したそうです。19歳で卒業した後、軍医として4年間ドイツに留学し、陸軍の指示による調査研究を行う傍ら、西洋の文学、美術に心酔したようです。
ところが、軍医として日清戦争、日露戦争の戦地に赴くこととなります。
このような体験の中で、鷗外は何を学び、感じたのでしょうか。

〇広い交友関係
多くの人々の書簡が展示されていました。樋口一葉 二葉亭四迷 幸田露伴 高村光太郎 芥川龍之介 太宰治・・・・。 到底書き尽くせません。
1907年、観潮楼歌会を開き、そこには伊藤佐千夫、佐佐木信綱、与謝野鉄幹、さらに斎藤茂吉も集まり毎月のように歌を詠んだといいます。
鷗外は観潮楼というサロンで多くの文学者の交流と互いに高め合う機会を作っていたのでしょう。

ougai02.jpg ougai03.jpg三人冗語の石

〇読み継がれる鷗外
三島由紀夫は、「鷗外はおそらく近代一の気品高い芸術家」と最高の賛辞を述べていました。
また、中野重治の「すべて文学を通して復讐した」という言葉は強烈に心に残りました。
さらに、画家安野光雅は、鷗外の「即興詩人」の影響を強く受け、その足跡をたどり、心に響くような繊細な絵を描きました。「(鷗外の)『即興詩人』は物語が主というより、文語体の調べの美しさが主だといえる。あらすじでは到底伝えることのできぬ音楽的文章の世界があるのだから、それを聴いてもらいたいのである。」と、述べています。

鷗外6

鷗外5

〇モリキネカフェ
モリキネカフェ。そこは思いがけない至福の空間でした。カフェからは二度の火災を免れた大イチョウ、鷗外が幸田露伴、斎藤緑雨と共に写真を撮影したという「三人冗語の石」が臨め、2回の火災で焼失した観潮楼の名残が伝わってくるようです。
軽食のモリキネセットはコーヒー付きで1000円。プレッツェル、コンビーフ、ザワークラフト、ヨーグルトなど一つ一つにドイツの手作りの味わいが込められているようでした。

売店には、森鷗外の作品、関連した作品が並んでいます。私はしばらく迷った後、その中の一冊を選びました。
かつては海が見渡せたという方向を見ると、東京スカイツリーが小さなろうそくのようにビルの間に挟まって、光っていました。

鷗外7

今後の展覧会の予定です。
8月15日(金)~10月16日(日) コレクション展
鷗外の東京の住まい
10月22日(土)~2023年1月29日(日) 特別展
鷗外遺産

文京区立森鷗外記念館

(担当:Giglio)

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漱石山房記念館を訪ねて

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人形2JPG
記念館に休む漱石の人形です。

東西線「早稲田」駅二番出口から徒歩十分、「硝子戸の中」に登場する夏目坂経由で新宿区立漱石山房記念館を訪ねました。

漱石山房
漱石山房記念館

夏目漱石は明治四十年九月から亡くなるまでの九年間を「漱石山房」と呼ばれた早稲田南町の家で暮らしました。この地で「坑夫」を皮切りに、「それから」「門」「こゝろ」「道草」を執筆、「明暗」の執筆途中に胃潰瘍のため亡くなりました。享年四十九歳。



一階には漱石の書斎が再現され、「移竹樂清陰」の額が飾ってあります。
書斎内の家具・調度品・文具は、資料を所蔵する県立神奈川近代文学館の協力により再現。書棚の洋書は東北大学附属図書館の協力により、同館が所蔵する「漱石文庫」の蔵書の背表紙を撮影し、製作されました。

夏目書斎JPG
漱石書斎

二階には漱石の書籍からの名言が展示されていました。そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」(『吾輩は猫である』明治三十九年)

「真面目とはね、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。」(『虞美人草』明治四十年)

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。… … 日本より頭の中の方が広いでしょう。」(『三四郎』明治四十一年)

「僕は常に考えている。「純粋な感情程美しいものはない。美しいものほど強いものはない」と」(『彼岸過迄』明治四十五年)

「私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」(『こゝろ』大正三年)

「あるのよ、あるのよ。ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ。そうなれば幸福になる見込はいくらでもあるのよ。」(『明暗』大正五年)


建物の外、漱石公園には『猫の墓』があります。
これは『吾輩は猫である』のモデルとなった『福猫』の十三回忌にあたる大正九年、夏目家で飼われていた生き物を供養するため、鏡子夫人と漱石の長女・筆子の夫・松岡譲が作らせたものです。昭和二十年の空襲で漱石山房が焼失した折損壊されましたが、昭和二十八年にその残欠を利用して再興されました。現存する漱石山房唯一の遺構です。

夏目胸像JPG
漱石公園入口・漱石胸像

猫の遺構
猫の墓

☆このブログは漱石山房記念館のご協力を得て作成いたしました。
関連情報:新宿区立漱石山房記念館

(担当⁑ アレクサンドリア)


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柳宗悦がこだわり抜いた日本民藝館

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今回は、さつき会会員haoさんから、懐かしい駒場東大前にある日本民藝館の情報をお寄せいただきました。

駒場東大前駅から歩いて10分弱の日本民藝館に行ってきました。
駅から住宅街の舗装道路を道なりに歩いていくと、斜め右に曲がった先に、日本民藝館の建物が忽然と現れます。
訪れた日は天気もよく、日本家屋のたたずまいと青空のコントラストがとてもきれいで、印象に残りました。
民芸館 入口

『日本民藝館は、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設された。』
(HPより抜粋)
日本民藝館では、美術館というよりは大きな家のような場所に、自然と物を置いたような手法で品物が置かれていました。
品物は、免震のためにテグスで物を固定したり、免震台を使うこともなく、また展示ケースもなく、ガラス張りの棚に整然と、調和を考えて配置されていました。
また、品物の説明書き(キャプション)は漆塗りの板に朱書きで物の名前と時代、素材しか書かれていません。
これは「知識で物を見るのではなく、直観の力で見ることが何よりも肝要であるという、柳の見識によるものです。」とパンフレットに紹介されていました。
木の引き戸2
本館の入口

長屋門
西館(柳の旧自宅)

民藝館本館、西館(柳の自宅)ともに柳の設計によるもので、細部までこだわり抜いて建てられたそうです。
展示の手法の独特さ、館内の品物の良さとともに、建物の内部をあれこれ見るのも楽しかったです。
入館料は大人1,200円ですが一生に一度くらいは見ておいて損はないかもしれません。
ご興味のある方はぜひ。

日本民藝館

さつき会会員hao

(担当:ゆっちょむ)

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