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漱石山房記念館を訪ねて

博物館めぐり

人形2JPG
記念館に休む漱石の人形です。

東西線「早稲田」駅二番出口から徒歩十分、「硝子戸の中」に登場する夏目坂経由で新宿区立漱石山房記念館を訪ねました。

漱石山房
漱石山房記念館

夏目漱石は明治四十年九月から亡くなるまでの九年間を「漱石山房」と呼ばれた早稲田南町の家で暮らしました。この地で「坑夫」を皮切りに、「それから」「門」「こゝろ」「道草」を執筆、「明暗」の執筆途中に胃潰瘍のため亡くなりました。享年四十九歳。



一階には漱石の書斎が再現され、「移竹樂清陰」の額が飾ってあります。
書斎内の家具・調度品・文具は、資料を所蔵する県立神奈川近代文学館の協力により再現。書棚の洋書は東北大学附属図書館の協力により、同館が所蔵する「漱石文庫」の蔵書の背表紙を撮影し、製作されました。

夏目書斎JPG
漱石書斎

二階には漱石の書籍からの名言が展示されていました。そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」(『吾輩は猫である』明治三十九年)

「真面目とはね、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。」(『虞美人草』明治四十年)

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。… … 日本より頭の中の方が広いでしょう。」(『三四郎』明治四十一年)

「僕は常に考えている。「純粋な感情程美しいものはない。美しいものほど強いものはない」と」(『彼岸過迄』明治四十五年)

「私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」(『こゝろ』大正三年)

「あるのよ、あるのよ。ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ。そうなれば幸福になる見込はいくらでもあるのよ。」(『明暗』大正五年)


建物の外、漱石公園には『猫の墓』があります。
これは『吾輩は猫である』のモデルとなった『福猫』の十三回忌にあたる大正九年、夏目家で飼われていた生き物を供養するため、鏡子夫人と漱石の長女・筆子の夫・松岡譲が作らせたものです。昭和二十年の空襲で漱石山房が焼失した折損壊されましたが、昭和二十八年にその残欠を利用して再興されました。現存する漱石山房唯一の遺構です。

夏目胸像JPG
漱石公園入口・漱石胸像

猫の遺構
猫の墓

☆このブログは漱石山房記念館のご協力を得て作成いたしました。
関連情報:新宿区立漱石山房記念館

(担当⁑ アレクサンドリア)


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